市政50周年で東部太鼓台が3月27日 海を渡りました。


伊吹島の太鼓台 new

@ はじめに new
観音寺市政50周年記念
のちょうさ祭りが 3月27
に琴弾公園内有明グラ
ンドで市内のちょうさが集
合しました。伊吹島からも
東部太鼓台が参加しまし
た。太鼓台文化圏の中核
都市を自負する観音寺市
の全国に向けての情報発
信になりました。その中で
の伊吹島のちょうさ(太鼓
台)は200年の歴史を持
ち太鼓台の伝播を知る上
で貴重な存在で注目を浴
びました。 広く、伊吹島
の太鼓台を知っていただく
ためにこのコーナーを作り
ました。伊吹島の太鼓台
を紹介します。写真は市
内で一番古い東部道具箱
です。文化2年(1805
年)に作られたものです。



A 勢揃いのちょうさ new
荒神社に勢揃いした左か
ら東部・西部・南部のちょ
うさです。伊吹島の伝承で
は、西部のちょうさが一番
古く、続いて東部・南部の
順に出来たとが伝わって
います。文化2年(1805
年)の東部道具箱が観音
寺市の太鼓台研究家の
尾崎明男によって発見さ
れました。東部の太鼓台
が1805年に存在したな
らば、西部太鼓台はもっと
古くから存在したことがわ
かります。最初に伊吹島
で太鼓台が運行されたの
は、いつか。まだはっきり
した年代は確定してませ
んが、いづれにしても市内
のちょうさでは一番古い歴
史を持っています。



B 太鼓記録帳 new
現存する太鼓台に関する
記録帳で一番古い西部の
太鼓記録帳(文化5年 1
808年)今は西部・東部・
南部と呼ばれているが、
江戸時代は上ノ町(上
所)・下ノ町(下所)・中ノ
町(中所)と呼ばれてお
り、各町の対抗意識が強
く、男達は競いあってい
た。女達は出部屋(産小
屋)で三町の付き合い(み
ーちょうのつきあい・・・1
ケ月の間産屋にこもるが
元気な人が手助けをして
助け合いながら出部屋で
生活を送る))をして子供を
大事に育てていた。



C 南部記録帳 new
資料館に保管されている
南部太鼓帳は天保4年(1
833年)から明治、大正、
昭和とすべてが揃ってい
る。太鼓台の運行を知るう
えで、貴重な資料です。
伊吹島には太鼓台に関す
る古文書がたくさん残って
います。大切な文化財で
す。大事に後世に伝えて
かないといけない。



D 子供ちょうさ new
明治31年(1898年)西
部太鼓台の修理の際 同
じ材料で作られた子供ちょ
うさ。伊吹島に伝わる太鼓
台は上方から直接伊吹島
に入って来たと言われて
おり、四本柱が上下に動
く、古い上方のちょうさの
機構を残している。子供ち
ょうさの背が高いのは、四
本柱を伸ばしているから、
高くてきれいに見える。現
在のちょうさは、太鼓台の
安定、掻き易さにより、一
番短くしているので、背が
低い。



E 太鼓襦袢 new
手書きの祭礼に着用して
いた襦袢が残っている。
「和藤内」の絵が描かれ
ている。明治時代には、ど
んな祭礼襦袢を着ていた
かの参考になる。資料とし
てはこれだけだが、まだ、
どこかのタンスの中には、
古い祭礼に着ていた襦袢
が残っている可能性があ
る。古文書と共に、資料の
収集を行い「伊吹島の太
鼓台資料」として後世に伝
えていくことが、太鼓台文
化圏の中での伊吹島の役
割かと思います。



G祭礼の行列 new
島を1周して来た神輿は
八幡神社に帰るが、港か
ら神社までの道中、行列
の先頭のはさみ箱の2人
の指図で坂道を登ったり、
下ったりする。神輿もそれ
に続く、その後3台の太鼓
台が続く。船中では、無礼
講でお神酒が出され、顔
に墨を塗られる。小学生も
行列に参加している。F、
Gの写真は岡山在住の
合田隆正さんが写された
ものです。貴重な写真あり
がとうございました。



H 宮の広庭 new
祭礼2日目、神輿が八幡
神社に帰ってくると、その
後にいた太鼓台3台の力
比べが始まる。昔は暗く
なるまで行なっていたが、
若者の減少で、長くは続
かない。3台の太鼓台は
ギリギリの人員で運行さ
れている。今後のことを考
えると少し心配ですが、2
00年の伝統を受け継いで
いる若者がたくさんいるこ
とが救いです。きちよさん
のHP「伊吹島の写真集」
では太鼓台を動画でも見
ることができます。http://
homepage.mac.com/
kichiyo/Menu16.html ま
た太鼓台研究家の尾崎明
男さんのHP「太鼓台文化
圏に生きる」でも、伊吹島
の太鼓台の記述がありま
す。http://park2.wakwak.
com/~taiko/



H 宮の広庭 new
祭礼2日目、神輿が八幡
神社に帰ってくると、その
後にいた太鼓台3台の力
比べが始まる。昔は暗く
なるまで行なっていたが、
若者の減少で、長くは続
かない。3台の太鼓台は
ギリギリの人員で運行さ
れている。今後のことを考
えると少し心配ですが、2
00年の伝統を受け継いで
いる若者がたくさんいるこ
とが救いです。きちよさん
のHP「伊吹島の写真集」
では太鼓台を動画でも見
ることができます。http://
homepage.mac.com/
kichiyo/Menu16.html ま
た太鼓台研究家の尾崎明
男さんのHP「太鼓台文化
圏に生きる」でも、伊吹島
の太鼓台の記述がありま
す。http://park2.wakwak.
com/~taiko/



I 東部太鼓台のお披露目 new
観音寺市制施行5
0周年記念として、
有明グランドで行
なわれた太鼓台ま
つりでの写真で
す。豪華、大型の
観音寺市内の太
鼓台の中で、唯一
 200年の歴史を
持つ 伊吹島のち
ょうさ(太鼓台)を
代表して東部太鼓
台が紹介されてい
るところです。太鼓
台の原型として 
大切に後世に伝え
ていかないといけ
ない。



J 古い写真  new
昭和2年の西部太鼓台の
前での記念写真です。西
部太鼓蔵に今も飾られて
います。今後、写真の劣
化等で今まで伝わってき
た太鼓台とそれを支えて
きた人々の様子が消えて
しまうことも考えられます。
複製を取り記録に残し、次
の世代に伝えることも必
要です。一番古い写真
は、どの位の時代の写真
が残っているかも不明で
す。家庭で眠っている写
真の情報教えて下さい。



K天保の桶 new
長い風雪に耐え、埃で白
くなっている天保15年(1
844年) 下若中 と書か
れた桶です。その後ろに
見える黒い象の鼻のよう
なものは、昔のトンボで
す。東部太鼓蔵は2ケ所
あり、現在の太鼓台で使
用しているものは伊吹八
幡神社階段下の太鼓蔵
保管されているので、古
い太鼓蔵は余り使用され
てなく、江戸時代の道具
類が残ったものと思われ
ます。上之町、中之町、下
之町と呼ばれた江戸時代
の記録帳、道具類は他の
地域では、発見されてな
く、西讃、東予の太鼓台
の歴史の中でも貴重なも
のです。大切な文化財で
す。 昔のトンボには、木
綿(もくめん)と呼ばれるス
ポンジがなかった頃の貴
重な天然素材が入ってま
す。有明グランドで見た東
部太鼓のトンボは木綿が
使われています。





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